長岡まつり大花火大会
こんにちは、Koukiです。
夏といえば、やっぱり花火ですね。
僕が住んでいる長岡には、国内でも有名な長岡花火があります。
今年も有料観覧席で、花火を楽しんできたので撮影した写真を、軽く紹介します!
他の花火とは意味が違う!?
長岡市内の多くの小学校では、総合の授業で長岡花火の歴史について学習をします。
その中でも必ず話に出てくるのは、「長岡花火は他の花火大会とは違う意味があるんだよ」ということです。
昭和20年8月1日 午後10時30分、アメリカからB29大型爆撃機が来襲し、焼夷弾を落としていきました。
時代は、第二次世界大戦が起きていた頃です。1時間40分にも及んだ爆撃により、長岡は一面焼け野原に。
旧市街地の8割消失し、1,488名の尊い命が失われました。
長岡は、一晩で全く違う地に変わり果ててしまったのです。
空襲から1年後の昭和21年8月1日、長岡まつりの前身である「長岡復興祭」が開催されます。長岡復興祭は、長岡空襲からの復興を願い開催されました。また、その翌年の昭和22年には花火大会が復活しています。この時に、1日が「戦災殉難者の慰霊の日」、2日・3日が「花火大会の日」と改められました。
そのような背景から、長岡花火は戦没者への慰霊の花火として、慰霊・復興・平和への祈りをテーマに打ち上げられています。もちろん、見るのを楽しむ花火ではありますが、祈りの花火でもあるのです。
特にその想いが詰まっている花火は、花火大会の最初に打ち上げられる3発の白菊です。
この花火には、慰霊と平和への祈りが込められています。
新型コロナウイルスにより大花火大会が中止になったこともありましたが、この白菊だけは打ち上げられました。それだけ、長岡市民にとっては大切な花火なのです。
中越地震 と 復興祈願花火フェニックス
もう年月が経ってしまっていますが、長岡は中越地震の被災地でもあります。
Koukiも、赤ちゃんではありましたが被災者の1人です。中越地震が発生した年の4月に産まれています。
長岡花火の有名なプログラムの1つであるフェニックスは、2004年の中越地震からの復興を願って、翌年2005年に打ち上げられたのがはじまりです。この花火にも、復興の祈りが込められています。
平原綾香さんの「Jupitor」に合わせて打ち上がるのですが、この曲は震災発生時にラジオ局にたくさんリクエストがあった曲でした。このような背景から、フェニックスを企画する際に、復興祈願花火のBGMにはこの曲しかない と決まったそうです。
復興祈願花火の打ち上げ回数と、自分の年齢が同じこともあり、フェニックスを見ると毎年泣きそうになってしまうのはここだけの秘密です。
まだまだ長岡花火についてたくさん語ることはできるのですが、あくまで写真がメインのブログなので、写真の紹介に移ります!
長岡花火の写真たち
何も編集してない画像ですが、それでもなかなか綺麗な仕上がりではないかと思っています。
やっぱり長岡花火は最高です!!
また、編集して綺麗に仕上げたら投稿し直そうと思います。
ご覧いただきありがとうございました。